あなたにとって運命的な出会いとは?
ブルーベリーとの運命的な出会い
先述の通り、自然と向き合える農業が大好きで脱サラ農起業した。一言で農業といっても多種多様で、作物、栽培法、売り方が異なれば、まったく違ったものになってくる。脱サラして会社を辞めたときには、まだ何を栽培するかさえも決まっていなかった。
さて、何を栽培するか、県立農業大学校に通いながら、時間さえあれば全国の農園を訪ね歩いた。自然農や有機栽培にも関心があり、合宿研修のようなものにも何度となく参加した。そんな中で“ブルーベリー”と運命的な出会いがあった。よく出会いが人生を変えた、とか出会いで道が切り拓かれた、みたいな話をよく聞く。その場合の出会いは、「人」であることがほとんどだが、私の場合は人ではなく「ブルーベリー」だった。
ブルーベリーといえば、総じて小粒で酸っぱい、基本的には生食よりもジャムやソースにして食べるものという先入観がある。そのイメージを覆すような「大粒で甘い」ブルーベリーに出会った。その瞬間、天から降りてくるというのか、第6感がビリビリ反応した。自分が探していたものはこれではないか、と直観的に感じた。
ブルーベリーは未知の魅力でいっぱい。
私は、理屈とか論理的に導いたものよりも、直観的に「これだ!」と感じたものを選択することが多い。もちろんそれで失敗することもあるが、振り返ってみると直観的に選択したことが、良い結果につながっていることの方がはるかに多い気がする。ブルーベリーもこの直観型選択に該当する。なんの予備知識もないが、とにかく「これに間違いない」と感じさせるものがあった。
だから十中八九、自分の中ではブルーベリーを手掛けたいという強い気持ちになったが、さすがにもう少し検証する必要がある。それゆえ、全国のブルーベリー農家を訪ね歩き、ネットや本でブルーベリー栽培の現況を把握した。
そこでわかったことは、ブルーベリーが日本に入ってきたのは戦後になってからで、まだ日本に根付いた歴史が浅いこと。そして日本ではブルーベリーを栽培する農家は、多数存在するが、本格的に手掛けている農家は少ないこと。さらに衝撃的なのは、日本ではブルーベリーで生計を立てている農家が皆無であること。要するに収益につながらない作物という位置づけだった。
本格的に手掛けている農家がないという現況を目の前にして、普通ならリスクが大きすぎるから見送るのが一般的だろう。しかしながら、私はその未知の魅力に魅了され、「自分のために手つかずで残されていた、自分のために用意されていた作物だ」と感じた。そして、ズブの農業素人であるにもかかわらず「ならば自分がブルーベリーで日本の第一人者になる」と決めた。
ブルーベリーの欠点をどう克服するか。
ブルーベリーが日本で主要作物になりきれていないのには、いくつかの欠点があったからだ。大きくは、収穫作業の煩雑さ、栽培の難しさ、鮮度の保ちにくさの3つを克服しなければならない。
まず収穫作業は半端なく大変な作業で、ブルーベリー栽培の年間作業時間の約2/3を占めるほどだった。これを観光農園化して収穫作業自体をお客様にお任せすることで、作業時間がほとんどなくなり、克服できることがわかった。次に栽培法については、原産地米国の土壌環境との違いから、日本での土耕栽培には限界があることがわかった。これに対しては、米国の土壌環境をシステム的に再現する「養液栽培」という仕組みを導入することで解決することがわかった。そして3つめの鮮度については、そもそも観光農園であるので、摘み取ってすぐに口に運んで食べることになるため、鮮度にそれほど敏感になる必要はない。このようにして3つの欠点も克服する道が見つかり、一気にブルーベリー栽培に突き進んだ。
出来上がっている道を歩むのではなく、道のないところを自分で切り拓いていくことが大変なことだと思われるかもしれないが、これほどワクワクする仕事は他にはなかった。よく苦労話を期待されるが、会社を辞めるか辞めないか、という苦悩に比べれば、取るに足らないような些細なことばかりで、振り返ってみても苦労したという記憶がほとんどない。
ブルーベリー栽培は、子育ての感覚。
ブルーベリー栽培は、近くに指導してくれるような人もいなかったので、試行錯誤の連続だったが、それも実に楽しい作業でしかなかった。私はブルーベリーに対して、単なる植物という接し方をしていない。自分の子どもを育てている感覚でやっている。
よく講演会で、こんな話をする。
——-(講演の一部)——
「ブルーベリーは私にとってまさに子どもたちです。1300本のブルーベリーをまさに子育てしている感覚で育てています。
この農園には、40種類のブルーベリーがあります。ブルーベリー狩りのお客様には、わからないと思いますが、私は直ぐに見分けられます。また朝、畑に入れば、「おはよう」「元気?「大丈夫」「調子悪いようだけど、しっかりお世話するから大丈夫だよ」とか話しかけながら、可愛がって育てています。まあ母親が手伝ってくれている時は、気が振れたかと思われるといけないので、話しませんが、一人の時は、いつも話しかけています。この農園には、よく小学生や幼稚園児が見学に来ています。先日も97名の幼稚園児がブルーベリー狩りに来ていまして、たいへんにぎやかでした。こどもたちは、みんな同じような質問をします。「どうやったら、ブルーベリーを上手に育てられますか?」と。そのときは、必ず「ブルーベリーと毎日お話しすることだよ」と答えるくらい、本当に愛おしくてたまりません。私には成人した二人の娘がいますが、自分の子どもの子育てよりも、むしろ楽しいくらいです。」
ブルーベリーは私を救ってくれた奇跡のスーパーフルーツ。
植物に話しかけるなんて、スピリチュアルな話で、だからよく育つのか?と聞かれれば、エビデンスを示すことはできない。ただ、これは意識してやっているというよりも、自然とそうなっていると理解していただいていい。
農家ではあるが、オフィスでデスクワークも多い。ただずっと長時間のデスクワークは行き詰る。それゆえに、デスクワークの合間に、ブルーベリー畑に降りて、観察や手入れをすることで、心身ともにリラックスきる。心が浄化されるような気がする。自宅でデスクワークをするよりも農園のオフィスでときどきブルーベリーと向き合いながらのデスクワークの方がはるかに生産性が高いことは確かだ。
このように理想的なライフスタイルを可能にしてくれた“ブルーベリー”は、私を救ってくれた奇跡のスーパーフルーツだ。