あなたは、今の仕事で明るい未来が描けますか?
会社生活10年で、自分の序列・ポジションが見える。
サラリーマン生活も10年を数えると、同期の中での序列も見えてくる。私は、新入社員当時は相当高い評価を受けトップの一握りに入っていたが、その後期待された成果が残せず、序列は人並みの真ん中程度まで順位を下げていた。ただそれでもまだ人並みの出世はしていたわけで、真面目に取り組みさえすれば管理職への昇進は十分可能なポジションにいた。
管理職の入り口である課長職にあこがれがあったわけではない。激務であることはわかっていたので、むしろ避けて通れるならそうしたい気持ちもあったが、一方でせっかく一流企業に入社したからには、せめて課長くらいにならないと格好がつかない、という想いもあった。
課長になったら地獄だった。
2003年1月、同期のトップエリートから2年遅れでようやく課長に昇格。本来は昇格したのだから嬉しいはずだが、私に限ってはまったくそんな気持ちは微塵も感じなかった。前年から仕事内容が大きく変わり、ただでさえ要領がつかめず、あたふたすることが多かった中での昇格であり、またその仕事柄、年初から3月いっぱいが猛烈な忙しさであることがわかっていたので、嬉しいどころか顔が引きつった状態で2003年の新年を迎えた。
さて、新年早々から3月頃までどんな生活だったのかお伝えすると、出社は遅くとも8時前、部下の誰よりも早く出社し、帰るのは誰よりも遅く10時前に帰れるようなことはまずなかった。それでも土日に2日休めればいいのだが、たまっている仕事を片付け、今後の方針など整理しようとすると、どうしても土日のどちらか1日は出社せざるを得なかった。2月になって仕事量がクライマックスになったときは、土日返上が3週間ほど続き、とうとう26日間連続勤務となってしまった。この年になって、最長の連続勤務日数を更新するとは思わなかった。
忙しさのピークは新年から3月までだが、それ以外も8時前出社、10-11時退社、土日のどちらか出勤という日々が日常となった。
明るい未来が描けない、見通せない生活に絶望する。
課長になって2年はがむしゃらに目の前の仕事を全力で取り組み、職責をまっとうしようと必死だった。その日その日を何とか乗り切ることに精一杯で決して戦略的、計画的に仕事ができたわけではない。従って充実感や達成感などまったくなかったし、プライベートな自分の時間もほとんどなく、未来に希望の光が見えない生活だった。また当時の上司(部長)との折り合いも悪く、いわゆるパワハラを受けることもしばしばあった。
課長になって3年目、多少なりとも精神的にゆとりが生まれるようになった。普通なら喜ばしいことだが、事態はむしろ深刻になった。いままで忙しすぎてゆっくり考える暇がなく気にならなかったことが、気持ちに余裕ができると同時に気にかかるようになり、考え込む日々が続くようになった。いつも頭に浮かんでくるのは、
- 自分は会社にとってかけがえのない存在か?
- 自分の会社生活に未来はあるのか?
- 自分は一体何のためにこんなにも猛烈に働いているのか?
すぐに答えのでないような問いが頭の中で堂々めぐりしていた。そしてもう少し現実的な問題として次のようなことも考え、感じていた。それは、この先出世してもせいぜいもう1ランク上の昇格、昇給することは可能でも、さらに上に登っていくことは、自分の現在の序列を考えると可能性は極めて低いことや、また周りを見回しても「この人のようになりたい」という理想的な上司は皆無だったことだ。この先の会社生活は、まるで真っ暗闇の中を手探りでさ迷い歩いていくような感覚にとらわれた。
眠れない日々が続く
そんな自分の未来のことを考えていると不安に押しつぶされそうになることが頻繁におきるようになった。答えのない問いを悶々と考える日々が続いて、いつの間にか、眠れなくなっていた。正確に言うと寝つきは悪くなかったが、早朝4時くらいにパチッと目が覚めて、もういくら眠ろうとしても眠れない悪い生活習慣が常態化してしまった。早朝に目が覚めて布団の中で考えることは、その日にやらなければならない仕事のことはもちろん、人間関係の悩みや、自分のこれからの行く末など暗いことばかり。これが私から活力を確実に奪っていった。眠れないまま6時の起床時間を迎えることになるが、カラダが重く、出社して自分のデスクに座るころには、もうくたくただった。これでその日の生産性が上がるわけもなく、暗くどんよりした一日が始まるのだった。
うつ病を身近に感じる
事態はますます深刻になった。自分のカラダに起きた変調は、眠れないことだけにとどまらなかった。自分の不甲斐なさや将来の見通しが立たないことへのやり切れなさを強く感じるようになり、気持ちがどんどん自分の内側に向きはじめ、「なんてダメな自分なんだ!」と自分で自分を責めるようなった。自宅から最寄りの駅まで車で通っていたが、帰宅途中の車中で、自分の中にたまっていたやりきれない想いが一気にあふれ出してきた。
それは車中で奇声を発するというカタチで現れた。「ウォーーー」「ちくしょう」「このやろう」「自分はダメな人間だ」こんなネガティブで汚い言葉が次から次へと口から出てきて、大きな声で叫んでいた。“家族に心配をかけたくない”という思いもあって、家に帰る途中、誰にも気づかれず迷惑をかけないように、たった一人の車中で奇怪な行動に至ったのだと思う。こうして「眠れない」「奇声を発する」という深刻な事態が日常になっていた。世間で言われているうつ病が他人事ではない、ごく身近に感じられた。
このままでは自分が壊れる、会社を辞めたい!
このころから、このままこの職場で働き続けることが、将来の自分にどんな事態を招くのかと考えるようになった。自分の中の自尊心や自己肯定感がどんどん磨り減って無くなっていくことを肌で感じていた。このような危機的なメンタルヘルスの状態が長い期間続くことは、それこそ本格的な心の病を患うことにつながり、このままでは自分が壊れてしまうという、身の危険を感じるようになっていた。
このとき「人間辞めるか、会社辞めるか」という人生最大かつ究極の選択を迫られていることを悟った。